98号(2021年3月発行)

Close Up あこがれの大人になるために。
自分の可能性を信じ、目標に向かって生きる

自分の可能性を信じ、目標に向かって生きる

30代前半の井上さん(仮名)と20代前半の加藤さん(仮名)は共に血友病A重症型。幼い頃から活発だった井上さんは、社交的な性格を活かして住宅営業の仕事に就きました。加藤さんは、子ども時代は車いすでの生活でしたが、リハビリテーションに取り組み、自分の足で歩けるようになりました。自分の強みを活かして社会でご活躍されているお2人に、どのようにして現在の自分にたどり着いたのかをお聞きしました。

井上さん

  • サッカーや野球を楽しんだ⼦ども時代

血友病と診断されたのは私が0歳の時でした。両親は「車いす生活になるだろう」「普通に生活できないかもしれない」などと周囲に言われ、最初はとても心配したようです。しかし、実際には出血時補充療法を行うことで普通に生活できることがわかり、安心したと聞いています。子どもの頃からスポーツが大好きで、幼稚園の頃に地域のクラブチームでサッカーを始め、小学生になっても続けていました。中学生の時は野球部で汗を流しました。


両親は、病気を理由に私の行動を制限することはあまりありませんでした。病気のことも「世の中にはもっとつらい状況の子もたくさんいる」「これくらいなんともない」とよく言われており、両親のこうした私への接し方が影響し、私自身もポジティブな性格になったように思っています。
 

  • ピンチは向き合うことでチャンスに

営業の仕事に就いたのは、昔から人と話すのが好きだったからです。特に住宅の営業を選んだ理由は、不動産経営に携わっている母や祖母の影響もありますが、お客様にとって一生に一度の大きな買い物のサポートができることにやりがいを感じ、挑戦してみたいと思ったからです。入社直後は自転車で営業に回らなければならず、長距離の移動で体力的にきつい時もありました。でも、続けていたらだんだんと仕事が面白くなってきました。


営業の仕事の魅力は、日頃のがんばりが数字になってあらわれることです。また、主に注文住宅を扱っているので、お客様と共同作業でゼロから家をつくっていく実感があります。住宅が完成して引き渡す時に、お客様と感動を分かち合うことができるのも今の仕事の醍醐味ですね。


営業の仕事で大切にしていることは、こちらから売りたいものを押し付けるのではなく、お客様が何を求めているのかをお客様の立場に立って考えることです。営業があまりうまくいかない時は、自分本位になっていないか振り返るようにしています。


お客様からクレームをいただいてしまうこともありますが、そういう時こそ、誠実に対応することが大事だと考えています。起こってしまったことは変えられませんが、自分が取る行動次第でその後の展開は変わるからです。お客様が怒っていても、誠実に対応することで、逆にそれまでよりいい関係になることもあります。

注文を受けてから建築する住宅のこと
 

  • プラスに捉えて人生を豊かに

新型コロナウイルス感染症の流⾏を機に、在宅勤務や外出⾃粛によって在宅時間が⻑くなり、住まい選びに対する考え⽅が変わってきました。「便利な駅近のマンションより駅から多少離れてもよいので広い⼀⼾建てに住みたい」「賃貸より分譲がいい」などの新しいニーズが⾼まっていますので、こうした声に応えることを意識して仕事に取り組んでいます。


私自身も、勤めている住宅メーカーで家を建て、最近は在宅時間が増えました。30代になって、20代の頃よりも太りやすくなったと感じているので、家では毎日筋トレをするようにしています。1日に腕立て伏せ30回、スクワット50回と、回数を決めて行っていますが、重視しているのは回数よりも“毎日続けること”ですね。


夢は世界を一周して、いろいろな国に行くことです。そのためにも、今はしっかり働くことに専念しています。私の場合、血友病であることが何かの障害になると思ったことはありません。むしろ、生まれつき病気を持っていることで、人の痛みがわかったり、メンタルが強くなったり、健常者より恵まれた部分もあると感じています。病気であることは変えられないので、悩むよりも、プラスに捉えて活かすことが大切ではないでしょうか。病気を持っているからといってできないことはない、そう信じています。

加藤さん

  • 「歩きたい!」 目標をリハビリで達成

血友病であることがわかったのは、幼い頃にあざができて入院した時だったと両親から聞いています。小学校に入学する前、出血を繰り返したことで、自分で歩くことができなくなり、車いす生活となりました。登下校時は母が車で送り迎えをしてくれ、学校では補助の先生にサポートしていただきました。


小学3年生の頃から、週に1回リハビリテーションに通い始めました。私は初めから自力で歩くことを目指していたのですが、理学療法士の先生をはじめ周囲の人たちは「歩けるようになるのは難しいだろう」という反応でした。最初はインヒビターの発生により、少し足を動かしては出血してしまうのを繰り返していたのですが、毎年、その年の目標を決めてリハビリテーションに取り組んだ結果、歩行器を使いながらですが、“小学校の卒業式に自分で歩き、卒業証書を受け取る”という目標を達成することができました。


次第にインヒビターの発生も減り、足を痛めることもなくなりました。足を痛めないので、中学校進学後は、目覚ましくリハビリテーションの効果が上がってきました。その後も毎年の目標を決めながらリハビリテーションを粘り強く続けた結果、高校生の頃には車いすも歩行器も使わず、杖を使って自力で歩けるようになりました。こんなに回復するのは珍しいと医師や理学療法士の先生方にも驚かれました。
 

  • パソコンの腕を活かして、ものづくりに携わりたい

幼少期は車いす生活で活動に制限があったため、ゲームをしたり、絵を描いたり、静かに過ごすことが多かったと記憶しています。ブロックを組み立てたり、プラモデルをつくったりすることも好きでした。


歩けるようになったとはいえ、足にハンディがあるのは事実です。小さい頃からパソコンが好きでしたし、理系科目が得意でもあったので、いつの頃からかパソコンを自分の武器にしようと思っていました。大学では医療工学を学び、就職先では情報システム部に配属となりました。この春入社したばかりなので、まだまだ学ぶことが多いですが、社内で運用しているシステムの管理などを任されています。


入社と同時期に新型コロナウイルス感染症が流行し始めたので、新入社員研修はオンラインでの実施でした。オンラインだと、朝に急いで出勤する必要はありませんが、やはり実際に出社したいと思いましたね。自宅で研修や業務の指示を受けていると、本当に社会人になったといえるのかな、と不思議な感覚にもなりました。


勤務先は3Dプリンタなどの印刷機器の開発・販売を行う会社です。今は情報システムを担当していますが、将来的にはもっと幅広い業務、特にものづくりに直接携わる仕事がしたいと思っています。幼い頃にブロックやプラモデルを好んでいたように、昔から何かをつくるのが好きなのだと思います。
 

  • 杖なしで歩くことを目指して

理学療法士の先生に勧められて、歩数計で毎日の歩数を計り、記録しています。記録を始めた9年前は、まだ車いすを使用しており、年間の総歩数はたったの15万歩程度(1日約400歩)でした。その後、歩数は年々増え続け、一昨年は約205万歩(1日約5,600歩)と、10倍以上になりました。月合計や月平均の歩数も計算しており、大学時代からはエクセルで歩数のグラフを作成しています。グラフ化することで努力が目に見えるようになるので、日々の励みになっています。


今の目標は、杖を使わず周りから見ても違和感がないくらい自然に歩けるようになることです。これまでも目標を一つひとつ達成してきたので、実現させたいと思います。


僕はかつて車いす生活でしたが、目標を決めてリハビリテーションに取り組み続けたことで、杖を使って歩けるようになりました。だから、同じような状況にある方も、希望を捨てずにがんばってほしいと思っています。

  • 最適な治療法や製剤輸注量・輸注回数は、患者さんごとに異なります。ご自身の治療については、主治医と十分にご相談ください。