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バイエル薬品株式会社

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血友病患者さんとご家族のための情報誌「ECHO」

《close-up》

夢を叶え、憧れの地「アマゾン」へ(1)

血友病A重症型の渡辺さんは、子どもの頃に魚の飼育に心を奪われ、水産科の高校を経て水族館の飼育員となりました。飼育員の仕事は体力が必要ですが、「血友病患者だから」と諦めることなく、調査のためにアマゾンに赴くなどパワフルに活躍しています。「できる限り長く現場で飼育に携わる」ことを目標に掲げる渡辺さんに、やりたいことを実現することの素晴らしさや家族への思いなどを伺いました。

渡辺さん

遊びや兄弟ゲンカを制限されなかった子ども時代

ハイハイを始めてから肋骨の辺りにあざができるようになり、不思議に思った両親が病院に連れて行き、血友病だとわかりました。生後8ヵ月の頃です。母は看護学校で学んだ経験があったためか動じなかったようで、私は血友病ではない2歳上の兄と同じように遊び、激しい兄弟ゲンカもしながら育ちました。血友病を理由に両親から何かを制限された記憶はなく、いつも応援し、見守ってくれていたように思います。

小学校入学前から、自宅で母が注射をしてくれるようになりました。母の勧めで自己注射を始めたのは小学5年生のときです。医療機関側は中学生からの自己注射を推奨していましたから、当時としては早かったと思います。

もともと体を動かすことより静かに絵を描くことが好きでしたが、両親の勧めで始めた水泳だけは得意です。当時鍛えた肺活量は今も仕事で役立っています。

熱帯魚に魅せられて、水産科に進学

室内で過ごすことが好きな私が、小学5年生のときに出会ったのが熱帯魚です。親戚の家にあった大きな水槽と熱帯魚に目を奪われました。犬や猫などの生き物は飼っていたのですが、熱帯魚を家で飼育できることに衝撃を受けたのです。

私は次男で、兄と両親とのやり取りを見ていろいろ学んでいましたから、日頃は両親を困らせるようなわがままは言わなかったのですが、このときは初めて、誕生日に水槽と魚を買ってほしいと懇願しました。買ってもらってからは魚の飼育に夢中で、魚の本を読みふけっていました。

そんな少年時代からの魚好きが高じて、高校は水産科を選びました。自宅から通える距離ではなかったのですが、淡水魚について学べる学校だったので、下宿して通学することになりました。

食事は付いていたものの、洗濯など身の回りのことを行うのは自分です。両親は反対せず送り出してくれましたが、内心では心配だったでしょうね。私も今では二人の子どもの父親なので、当時の両親の気持ちがわかります。製剤をたくさん持たせてくれ、下宿先にも病気について説明してくれました。おかげで病気に関して下宿先のご家族の理解も得られ、淡水魚の勉強に没頭することができた高校生活でした。

好きなことを継続するために

高校卒業後の進路について、両親には進学を勧められましたが、好きなことを仕事にするために水族館の飼育員を目指しました。水族館の飼育員は求人が非常に少なく、倍率が100倍を超えることもあるほど狭き門ですが、それで諦めるという考えはありませんでした。全国の水族館に片っ端から電話して募集について尋ね、試験勉強も乗り越え、何とか水族館に就職することができました。

飼育員の仕事は、給餌や水槽の清掃だけでなく、水質チェック、ポスターや解説パネルの作成、展示物の入れ替えといった館内の業務に加え、自然界にいる魚の捕獲、館外で行うイベントの企画や運営、学校での出張授業など、多岐にわたります。魚の体調管理ももちろん飼育員の仕事です。苦労して飼育した魚を見てお客さんたちが感動してくれるとやりがいを感じますね。

就職したときは、周囲に気を遣わせてしまったり、魚に触れる機会が減ってしまうことを懸念して、会社に病気のことは話していませんでした。その分、人一倍努力して、そこで必要とされる人間になろうという強い思いで働き始めました。飼育員としての実績を重ね、現在は一部の上司や同僚に病気のことを話せるようになりました。力仕事などは後輩にお願いしたり、ときには休まなければならないこともありますから、病気を理解してもらうことや日頃の働き方が大切だと感じています。

お役立ち情報

  • 血友病輸注記録アプリFactorTrack
  • 血友病関節ビジュアライザー
  • 血友病患者さんのための情報誌「エコー」
  • かた丸くん忍法ナビ
  • ECHOミュージアム